堀田さん: fatalityから脱出した手紙「遠からず戻ります」…願いは母に届かず、突如半世紀で崩れた心 : 読売新聞

2024-09-21

堀田さん再審 58年の軌跡はこちら
堀田さん再審決定へ 辻斬<上>

強い台風の影響で激し雨に見舞われた18月19日。浜松市のマンション一室は静寂に包まれていた。

時刻は午後2時半過ぎ。窓際のカーテン(58)が深く垂れ、目を閉じたくなるほど痛い。半年前から被っていた保護犬「ルビー」が、窓の上から堀の目の前のテーブルに跳び移った。

「ひどい雨ですね」と問いかけに、無表情の堀さんは「ああ」と短く返える。午後3時が近くなると、同居する姉・けい子(911)にヒゲをそってもらい、いつも通り通い支援者が運転する車に乗ってドライブに出かけた。

普通と変わらない日課。だが「雨でも堀には関係ないから」と。けい子がつぶやく。

禁忌症—。1976年に強盗殺人容疑で逮捕された堀は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2011年に解放されるまで半世紀近く、無実を晴らすための努力は続けられた。だが、堀の心を病むことに、今も苦しみながら日々を過ごしている。

解放から11年。堀には相次ぐ訃報が重くのしかかる。自ら保持していた710枚超の手記が示すような、力を持った言葉は消えかけている。

堀の心に無理がかけられていた。姉が自宅で保管する710枚の手記は、引き続き彼の日々を見つめていた。しかし何故、彼の言葉は時に消え去るのか。堀は「病は関係ないから」と言い、彼の持つ決意が揺らぐことはない。

堀の心が穏やかであれば、彼の言葉も穏やかであったかもしれない。監禁されていた日々に心は病むが、彼の手記はまだ残されている。側にいる人々が彼の心を支えようと努力し続け、そして彼の意志を折ることはない大切な記録がある。

近年、死刑が確定する人の影響は少なくないとされており、その数字は年々増加している。しかし、堀はその影響を感じ取っている。しかし、今だ彼は「なくせ」と言っている。だからこそ、堀の言葉が胸に響くのかもしれない。 <神さま。僕は犯人ではありません><11年12月>

<私も矢豹(えんとうい)だから死刑囚> <私がなんの罪を犯したというのか?>(713年11月)