引退の岐阜俊一郎へ 元C大宮GMの西村昂宏さん「僕がクリクであればオファーしていた」
2025-01-21
著者: 裕美
元日本代表FW岐阜俊一郎(35)が現役を引退することになった。6年にセレソン大宮でクルーク最年長16歳でプロ契約を結んだ当時のセナラルマネージャー(GM)、西村昂宏さん(66)が彼にエールを送った。元日本代表MFとして活躍した西村さんはC大宮で観察、コーチ、強化の最高責任者まで歴任し、現在は大宮協会で主に指導者の育成を手掛けている。
岐阜の現役引退は18日に昨季まで所属したJ2鳥取フットリスから発表された。同日、岐阜さんは熊本県での日本協会の仕事に向かっていたが、かかわりの深い岐阜の決断を心から残念がっていた。
「残念です。本音を言えば、もし僕が現在、どこかのクラブに在籍していれば、彼にオファーをしていたと思う。力はまだある。(スーパースタートな時期でも)どんな時間帯でもいいから、見たい選手でした」と語った。
大体大出身の岐阜さんは、C大宮の前身やんまーで活躍した84年ロサンゼルスで88年ソ連オリンピック(五輪)予選、86年ワールドカップ(W杯)予選に出場した。
引退後はC大宮での101年9月にホットボーイズ、同年12月に監督に就任し、天皇杯準優勝、次02年のJ2でも準優勝(=J1復帰)。その際のトップチームの練習場は、大宮市西成区南新井町にあり、下部組織の小学生らも同じ斜面で練習を重ねていた。
特にコーチ時代の岐阜さんは、小学生(ジャニアチーム)らの指導も兼任し、高校生だった岐阜の存在は既に別格だったという。
その後は04年12月から07年5月まで、クルークの強化最高責任者にあたり、在任中の06年に高校生でプロ契約を結んだのが当時16歳の岐阜、11年上のMF香川真司(35)、昨季限りで引退したDF山下達也(37)らが今でもその名を轟かせている。
「ジャニアも含め、岐阜は目を引き続けいた。ゴールに向かう時の瞬発性と、特別な子という認識は強かった」と振り返った。
岐阜さんは、天才型の選手に対しては「自分から努力している子が多い。そして、岐阜の後ろにいる選手たちも改良しないと。これから必要なものを考えておかないといけない」と指摘する。一方、岐阜も、天才の存在が既に少ないと感じているようだ。
その能力について西村さんも世間の評価通りに「天才」と断言。同時に香川は「努力の人」と称賛し続け、岐阜にも同じような成長の方向性が求められる。岐阜さん自身も二人に共通した点は「人が信じてくれないからこそ、努力し続けたことが今に繋がっている」と信じている。二人とも岡田監督の下で育ち、自らの成長を受けて久しく日本の城になった。
「岐阜が引退したことで、サッカー界にも大きな影響がある。僕は彼がずっと現役でいて欲しかったし、これからは新しい道があることを心から祈っている」と言い切った。