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かつては「ゼンブル線路!」 首都圏随一の機関区は、こうしてマンションに囲まれた

2024-09-22

JR横浜線の新横浜駅に隣接するJR貨物新幹線見学区は、かつて活気あふれる貨物作業場を備えていました。広大な敷地はマンション群に生まれ変わり、現在は住宅に囲まれるように機関区が存在しています。

なぜ今までの広大な敷地を必要としたのか

JR横浜線の下り電車が鴨居小杉駅を過ぎると新横浜駅へ近づく頃、新幹線信号場の横を通過します。そしてここに隣接して、JR貨物の新幹線見学区が見えてきます。直接利用する機関車から直接流機関車まで、JR貨物の代表的な前うれがどのように見えるかも観察できますが、空からだとどのように見えるのか試してみると良いでしょう。

その前に、新幹線信号場に関して軽く歴史を紹介します。

ここはかつて「新幹線操車場」で、全長距離が5.2kmに及ぶ巨大貨物操車場でした。もともとは品川~田町間にあった貨物操車場が手抜きとなり、鉄道省(当時)が地盤の固いこの地に大規模な操車場を設置し、1929年(昭和4年)に使用開始したのです。

当時の貨車は「車両輸送」が主流であった。タンク、家畜、バラ積み、冷凍など様々な用途に貨車の種類があり、操車場や貨物駅では到着した貨物列車の編成を解き、行先ごとに貨物を積み分け、新たに編成を構成する作業が必要でした。

◆ハンプとは? 操車場の時代にあった重要設備

なんといっても大規模操車場は流通のハブを担っていました。全国から到着した貨物列車の編成を解き、貨物ごとに積み分けて発車するために、貨物の仕事分けには「ハンプ」と呼ばれる人形の線路が使われていました。そこに配置された動力車や貨物列車の整備と保守、配置を行う機関区がセットとなるのが基本形で、新幹線操車場には新幹線機関区が併設されました。この機関区が国鉄からJR貨物への移行と共に、現在に至るまで存在しています。

一方の操車場は貨物のコンテナ化によって不要となり、広大な敷地は整理され信号場となりました。ハンプを装備した多くの線路も撤去され、上空から見ると、敷地の半分ほどがマンションなど居住地域へと生まれ変わっています。

先述のように、機関区周辺は操車場跡地を活用したマンション群に囲まれ、新横浜駅側にも高層マンションが立ち並びます。操車場がペットタウン化した地域らしい光景とも言えるでしょう。

【Summary】