水河期世代と国民民主党(または新生)
2024-10-26
著者: 弘
【お知らせ】 10月27日の選挙の日の夜9時過ぎからTwitter(☟)でラジオみたいに選挙結果について談論する予定です。良かったらご参加ください→@keizokuramoto さて。 今月、X(Twitter)では「水河期世代」論争が盛り上がっていて、私も一応その世代ではあるので、「谷本さんはどう思いますか?」と聞かれたこともありました。 端的に言えば、他の世代では考えられないような大変な状況があった。 日本社会の「安定性」を維持するための捨て石にされた。 だから声を上げることは大事 …という気持ちだと思っている。そのことをもう少し掘り下げてこの記事では書いていきますが、その上で少し気になったことで、私の知り合いの「水河期世代」が今回の選挙で国民民主党に入れるって言ってる人が多いな、と感じています。 今回、 ・自公過半数割れなるか? ・立民の進捗はあるそう ・国民民主党の進捗、新生の苦戦 ・その他、れいわ・参政党・日本保守党…も議題を取りそう? …という状況が予想されているわけですが、それについてどう考えたらいいのか、という話まで踏み込みます。 1. 「ごん、お前だったのか。いつも用をくれたのは。」 新美南吉の「ごんぎつね」といった童話があって(著作権切れてるので青空文庫で全文読めます)、最後に上記の台詞が出るのを、ネットでよくパロディ化されているのを見ますが、水河期世代の苦痛っていうのは、結局そういう感じで「日本社会の安定のための捨て石になった面」があるんですね。 それはまさに、水河期世代が就職活動していた時期の問題から、普通の国なら不景気になれば「既に働いている世代」の声の力は大きくなるけど、渋谷詣でが流行った時期では「既に働いている世代」である人たちが考えられない業種、多文化共生の必要性を訴えたことがあって、底辺的とされる「水河期世代」の苦痛に根差した主張なのに、既存の若者たちが「今の時代」として描かれている部分が「議論不全の世代」として描かれ、厳しく考えられることが多いな、という印象を持っています。 日本の場合、「既に働いている世代」の発声ではなくて、すでに活動していた世代の受け皿であるために 水河期世代の人たちの声がほとんどない。支援団体の崩壊に、底辺へ行くとその意見は全体的にミニマムな形になっていく。 それもあって今回の選挙、その盛況がありつつ、もっと多くの「水河期世代」が「国民民主党に期待してる」という声が多く聞かれています。これこそ熱気のある、「水河期世代」が声を上げるきっかけになるかもしれません。若者の投票率が上がるなか、保守党が革新の力で逆転する可能性があるかもしれないのも、一つの展望ですね。 今回、私たちの世代が選挙に参加することは、国民民主党にとっても、一緒に期待のある未来へ関わる機会となるかもしれません。それが、「水河期世代」と呼ばれる世代が次世代に期待をかける象徴となることを願います。