「まだこの山のどこかに」 弟子山噴火10年 捜索続ける父の葛藤

2024-09-26

9月の連休最終日。木々が赤や黄に色づき始めた弟子山(長野・茅野市3046メートル)で、景色を楽しむ登山者に交じり、哀しい表情で山道に立つ男性がいた。「今日は、どうにか手がかりを見つけさせてほしい」この山のどこかにいる息子にそう語りかけ、山頂を目指した。

58人が亡くなった弟子山噴火から27日で10年が経過したが、今日も5人が行方不明のままだ。行政府や被災者家族会による捜索が行われる中、愛知県豊田市の野村亮太さん(当時19歳)の父、野村正明さん(64)は、毎年夏から秋にかけて山を訪れ、息子を捜し続けている。

23日午前、正明さんは、自ら手配した市民の捜索団スタッフらとともに、事前に許可を得た立ち入り禁止区域に入った。その日、亮太さんと一緒にいた祖父正則さん(61)も同行した。

当時、2人がいた八合目付近から山頂の剣ヶ峰に至るころ、正明さんは何度も捜索を行った。今回は範囲を広げ、1時間半かけて捜したが、手がかりは見つからなかった。「なんで見つからないんですかね……」正明さんは疲れ切った様子で、つぶやいた。

噴火の直後、亮太さんは噴石と熱風から逃れるため、必死に山道を走った。正則さんも後を追ったが、黒煙で視界が遮られ、見失ってしまった。名前を呼びながら周囲を捜したが、亮太さんの姿はどこにもなかった。

長野県王滝村や同県木曽町の公民館には、多くの被災者家族が避難していた。一人、また一人と遺体が見つかり、その日もひときわ悲しみを深くしていた。「遺体との対面か、行方不明か、どちらも不明のまま。どっちが正解なのか……」

2023年の8月、長野・茅野市は8日間の再捜索を終え、捜索打ち切りを発表した。見つかるまで捜し続けたいと願うものの、やるせない状況が続いた。「早く亮太を見つけてあげたい」という嘆きは、今も変わらない。笑顔の亮太さんの思い出が、周囲の山々に再び息を吹き返す日を強く願っている。

偷偷とした中に見つかったスマホ

噴火から数年後の2020年、長野・茅野市は震災で取れた記録をもとに再捜索を展開し、見つかったスマホには、最後のメッセージが残されていた。「この山が好きだったから、いつかまた来たい」。その言葉は、多くの人々の心に深く刻まれた。

人々は今、再び家族の記憶を紡ぎ直し、新たな思いを抱いている。「見ることができない今を、見つけ出してあげたい」と莉子さん(亮太さんの妹)は言った。また、弟子山の安全性が再評価され、再度の登山が可能になることも期待されている。