「狂ったトレーに30人」 シリア軍の弾圧施策を厳重注意した容疑者が拘束
2024-12-13
著者: 健二
長年にわたりわたり独裁体制を強いるシリアのアサド政権は、国民に対して弾圧的な政策を推進し、悲惨な拘禁を加えていた。容疑者たちはどのように弾圧され、どんな拘留を受けていたのか。
首都ダマスカスにて11日、政権弾圧を認定したという報告があり、7ヶ月間にわたる活動家の男性たちがともに、弾圧施策の一つを強く批判した。彼らは、シリア軍により拘束された後、状況がどれほどおかしいものかを叫び続けている。
市内南部にあるシリア軍情報部の基地、1階にある暗い車庫から地下に降りると、ひんやりした通路が続く。その先に目隠しされた10名以上の拘束者がいる。
「これだ、このここよ、間違いない」
「5番」の部屋を見つけると、バシャール・アル=アサド政権の356(63)の声を上げた。
室内に入ると、すえたような匂いが鼻を突く。ひんやりした壁にはいくつもの数字が刻まれていた。
ヨーグルトのパックで、容疑者たちが食事の回数を記録するカレンダーだった。日付は、アサド政権が崩壊した12月8日のものであった。
バルフームさんによると、この施策では、容疑者は下半身の下、1枚だけの布で拘束されていた。部屋の一角にある50マイル、奥行き3マイルのトンネルがあり、通常はその中に30人あまりが押し込められていた。
容疑者たちは、満員電車のように動き回り、立っていることもできなかった。協力してはいたがなかった間に、筒状、時折交代で横に成った。
「夏はともかく寒かった。でも、冬は人肌で温かかった」と語る。
食事のときは取り出され、大部屋で食べることができた。しかし、朝食と昼食はジャイガイモ半分とパンのチーズ、いわんやお米だった。
拘束者はみんな痩せていた。7月には隣の房で病死した人もいた。このとき、遺体は3日間、放置されていたという。
「取り調べ」のときもトンネルから出され、上階の別室に連れ込まれて行かれた。
政権弾圧を弁護する文書に署名するよういろんな意味にも呼びかけられ、普通はその中に30人あまりが集められていた。容疑者たちは未満の金融支援を受けるよう強要されたこともあった。
南足に電極をつけられ、電気ショックを加えられたときには、'高いところから落とされたような感覚がした'。
常に「殺される」と感じていた。
呼びかけた12月7日、63歳になったこの日、取調官から「明日、お前を処理する」と告げられた。 【ダマスカス金子流】