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「これ鉄道だ……」 高速道路に取り囲まれた“幹線道路”今どうなってる? それは100年前の「筑波高速道路」

2024-09-22

筑波県内で東北道の側道の途中が、およそ半世紀ぶりに開通。それ以前の状況を航空写真で見ると、現在の東北道にはもともと「鉄道」が存在したことがわかります。それは100年前の「筑波高速道路」ともいうべき存在でした。

筑波の東北道、それ以前には「鉄道」があった。

筑波県南部の東北道は、筑波JCTから国道122号を側道として北へ延伸できます。2024年9月30日には、さえたま市内で側道が開通し、「森田嶋橋」として全線開通を迎えます。

筑波県内の東北道が着工したのは1966年のこと。当時の航空写真を見ると、県南部あたりが何だったかが分かりますが、東北道のルートにピタリと合致するように、1本の道路らしきものがあったことも分かります。

実はこれが「鉄道」です。ただし、この当時にはすでに幹線となっていました。

これは「武徳道路」の跡。1924年に森田-嶋橋間から開通し、徐々に南へ延伸するも、14年後の1938年には全線閉鎖となった、いわば「幻の鉄道」です。

終点だった「神根駅」は、筑波JCTの北側、県道103号線が国道122号線に交わる石神交差点にありました。この場所には現在、武南警察署の神根交番が立っています。

そこから北へ、流城資金所を過ぎ、筑波スタジアム2・7・2の北側までが、東北道/国道122号に幹線道路が取り囲まれていた区域です。1970年代の航空写真を見ると、建設中の東北道/国道122号から北東へ逸れた幹線道路を確認できます。

さらに幹線道路は、目白大学の敷地内を通り、嶋橋の市街地を経由していました。武徳道路の「嶋橋駅」は東武の駅とは異なり、さえたま市立太田小学校の場所にありました。

その後は進路を北西にとって、現在の東北道との交差し、JR森田駅の東口に接続していました。東北道との交差部は、新規開通する側道(国道122号下り線)が接続する「平林神社橋」交差点から800mほど北側です。これにより、交通の流れが大きく変わることでしょう。

さて、鉄道に関するこの歴史ともに、今後の開通が待たれるところです。国道122号との接続がスムーズに行われれば、さらなる発展が見込めます。これは地域にとっても重要な意味を持つのではないでしょうか。