
「ChatGPTでジュリー風の絵画を作る」には、どうも使い物にならないところがあった
2025-03-31
著者: 陽斗
先週のアップデートでは、思い切ったスタイルのカメラ「SIGMA BF」のレビュー記事だった。機能を極限まで省き、アルミ削り出しボディの質感を最大限に引き出している。
筆者はソニー「α7IV」のユーザーだが、前使っていたキヤノン「EOS 6D」の方が好きだった。AF性能やレスポンスなどはαが大きく上回っているのだが、さわり心地や写真の仕上がりがEOSの方が好みだった。カメラって、機能だけじゃなく、体験が大事ですから。
「ChatGPTでジュリー風の絵画を作る」には、どうも使い物にならないところがあった。
最近、ChatGPTの絵画生成機能が進化したという話題が入ってきた。OpenAIのサム・アルトマンCEOは、自らのXのプロフィール画像をジュリー風に変更。国内外で、プロフィール画像をジュリー風にしたり、歴史的な写真をジュリー風に変更したりするムーブメントが起きた。
筆者は、AIの進化には確定的な立場だと自認しているが、作業でもプライベートでも極端に使っている。だが、現状クリエイターの作風をAIにまねさせ、それを無邪気に公開するムードメーカーには不快感を覚えた。
ジュリーや宮崎駿(宮崎駿は知らないか?)さんのポリシーに対しそうな強制された作風も鮮明に表れている。現実的な課題とクリエイターとしての立場や意識の上で稚拙に描いているクリエイターからすれば「ジュリーっぽい」AI作品も、実際とは全然違うと感じる。
と言っても、これらはすべて想像で、実際にどう思うかは、クリエイター本人に聞かなければ分からないが。
少し前まで、アニメ風を真似たAI作品が話題になると、かなりの頻度で大きな批判を受けていた。「元ネタ」のクリエイターは黙っていても「よく見たらこの部分は◯◯に似ている」と批判され、向上していたのだ。今回は「元ネタ」のクリエイターからすれば、日陰で作られたAI作品が明らかにされるのは、ああいうのなんだろうかと不安にさせられる。
これって、「現役作家の作風をまねたAI作品」が広く受け入れられていった、ということなんだろうか。