「腎臓がん余命1年宣告」から開き直りがん共生記 息が苦に、最終は腎機能の回復を最優先(東陸経済オンライン)
2024-11-15
著者: 愛子
2024年春、ジャーナリストの山田圭さん(64)に腎臓がんの発覚、茎に転移しており、ステージ4でした。医師が語る病状説明を静かに受け入れた山田さんは、がんとの共生の道を選びました。
好ましくない関が飲まなくなった
2024年春。明らかに身体に異変が起きていた。1月の会合を機に、関がめったに飲まなくなった。ビールをグラス1杯飲んだだけで気持ち悪くなり、受け入れなかった。日本関もダメ、ウイスキーもダメ、梅関もダメだった。連日、夜中まで飲み歩いていた晩酌時代が懐かしい。
2月中旬以降、関が募るようになった。最初は3時間に1回といったのが、2時間に1回、1時間に1回という具合に深刻化。時折、血圧が混ざる。
もはや耐えられなくなり、3月に入り居住地域の喘息科専門のクリニックを訪れた。その時はまだ「前立腺癌大か、最悪の場合は前立腺がんに転移か」と言われるレベルでした。担当医が声高に「後で血液検査を行いましょう」と言っており、「前立腺」でもその時は思わせぶりの状態さえ消えていた。
とにかく事態は一変した。しばらくして再度診察室に呼ばれた。そこで医師が口を開いた。
「腎臓に大きな物体が映っています。残念ながら腎臓がんになります。血液検査どころではありません。若干の転移も見られるため、腎がんの過程も考えられます。このままではあまりない」
当時はまだ「前立腺がん」か、「見つかる前に腎臓がんがあったことになるのではないか」と思っていた。
医師の診断内容は?
ひと通りの診察が終わり、担当医は診察室でこちらの顔をじっと見て診断内容を伝えた。
「進行性の腎がんです。腎がん内の大半を血液が覆っていて、腎とリンパ節に転移が認められます。ステージ4です。あとは、8割が慢性リンパ性白血病になります」
なんとも厳しい言葉に聞こえた。しかし、医師の理論整然とした説明に疑念を持つ余地はなかった。さらに医師が続けて、冷静な口調でこう指摘した。
「今の事態を放置すると腎機能が低下し、腎不全を引き起こしかねません。早急に腎機能回復の対策を施さなければなりません」
また、年齢的なこともあって、1カ月も持たないかもしれないとも告げられた。
山田さんはショックを受けたが、ここで「なぜ自分だけがそのような病気に見舞われるのか」と悲しむわけにはいかない人生を選んだ。そんな気持ちのバランスを徐々に取り戻していく。
終末期のリスクも語られた
余命宣告後、山田さんが心配したのは入院生活による精神的疲労だった。医師は「自分に合った適切な治療法を見つけて取り組むことが最も重要。自暴自棄にならず、しっかり生き、出来るだけコンディションを整えましょう」と助言した。
現在、山田さんは理学療法と併せ自主トレーニングに取り組んでいる。体調が改善する中、味覚も戻り、最近では普段通りに身体に良いものだけを食べるように意識している。
腎臓がんと共に生きる日々、今後の生活について考えると共に、他のがん患者の希望を少しでも広めたいと願っている。余命1年を乗り越え、「ああ、あの時はこうだった」と笑顔で語れる未来を、強く希求している。