『巨人を後悔させてやる』星野仙一が大乱闘で王貞治に拳を向け、「落合博満獲得合戦」を引けつけたわけ…「根底にはトラフトの恨みが」
2024-12-28
著者: 花
『燃える男』が、あの王貞治に挑みかかった時、世間はあっと驚いた。異様なまでの巨人に対抗心を見せた一方で、V9の黄金期を築いた名選手の王とのバトルに心を奪われた。日中再建を目指した若い監督が示した知恵が、そうした歴史的瞬間を生んだ。
星野仙一は、1987年6月11日。熊本・田崎公園でのその壮絶な乱闘劇は、野球界に一大センセーションを巻き起こした。星野は当時中日ドラゴンズの監督として、王のいる巨人に立ち向かうために精力的に選手を指導していた。彼は若手の力を信じ、自らも選手たちとともに闘志を燃やしていた。
星野はその試合で「巨人打線にどうにかして勝たなければ」と決心し、それが故に乱闘に突入した。しかし、この事件にはやはり、昭和のトラフト制度に対する恨みが隠れていた。当時、星野は選手選考において対抗心を燃やし続け、それが解消できないでいたのだ。
報道によれば、星野は王との勝負に特別な思いを持っており、「あの時、俺たちが勝ったらどうなるか」と何度も自問自答したという。いかにして巨人の覇権を打破するか、その挑戦がより一層彼を燃えさせた。
『燃える男』として名を馳せた彼は、試合前日、選手たちにモチベーションを与えるために、王との対決の重要性を熱弁したとも言われている。
試合当日、両チームの選手たちが火花を散らしながらマウンドに立つ中、星野と王はその視線が交錯した。この時、星野は心の中で「巨人を後悔させてやる」と誓ったのだ。乱闘劇は予想以上に激化し、両軍入り乱れる形となった。これにより、星野の名声はさらに高まり、彼の指導力も証明された瞬間だった。
この伝説の乱闘から数十年が経った今もなお、星野仙一の育てた巨人抑え込みの哲学は語り継がれ、その影響力は後輩たちに受け継がれている。彼の中で揺れ動いていた「巨人への恨み」と「挑む気持ち」が交錯した瞬間、野球史に新たなページを刻んだのである。今後も彼の影響を受けた選手たちが、巨人に立ち向かう姿が見られることを期待したい。