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「ICUで眠る師匠の人形を外した日」笑福亭笑瓶さんを見取った弟子が明かした最期「『今までごめんな』と話していたのに…」

2024-11-10

著者: 健二

「遺品整理をしていますが、落語のCDや出演した番組のプロデューサー、テレビで使っていた着ぐるみなんかを大事に保管していたり、モテルガンや模型刀なども出てきて、2年近く経ってもまだ片付けているところです。」

2023年2月22日、急性大動脈解離で66歳の若さで天国へと旅立ったタレントの笑福亭笑瓶さん。テレ東の黄色い糸巻きと笑顔で親しまれた笑瓶さんは、『HAMASHO』(日本テレビ系)や『もめん王座決定戦』(フジテレビ系)、『癒しの!東京マガジン』(TBS系)など、多くのバラエティ番組でお茶の間に笑いを提供してきました。

テレビでは決して見ることができなかった彼の素顔を知るのが、師匠の笑福亭鶴瓶(48)だ。1997年に入門し、師匠のもとで芸事の修行を積んできた笑瓶さんは現在、上方落語の伝承家として中心に活動している。

今回、師匠に笑瓶さんとの思い出を語ってもらった。「笑瓶の趣味はゴルフでした。2015年12月29日にゴルフのプレー中に師匠が脈の痛みを訴え倒れ、そのままドクターヘリで運ばれました。当時、私は“東北住みます落語家兼山形住みます芸人”として拠点を山形に置いていたので、仕事の合間に病院へ向かいました。」

「笑瓶さんが自宅で倒れた当日、連絡を受けた私は『9年前に同じ病気で倒れて一命を取り留めたことを思い出しました』と話しました。」

「笑瓶の面倒を見てくれた部下と繁忙な師匠は、『おう、俺も懸命に...』とは言っていたが、『あぁ、弟子も俺に懸命に支えてもらって…』と少し安堵していた。」

「師匠、まっすぐ施設に運ばれた。まさに、笑瓶さんの部屋で救命処置を受けているような状況で、彼が元気でPCRによって執念で死にようがなかったことを思い出します。『師匠、まっすぐお前の元へ行くから、待っててくれ!』と、”笑瓶さん”の名の元でどこまでも行こうとしているような気がしています。」

手術は無事成功したが、3週間後に退院したとのことだ。奇跡的に助かったものの、サッカーをしていたため肘を痛め、再び病院へ運ばれることに。笑瓶さんが間に合った病院とは異なり、倒れた際と同じ医療機関で何度も搬送されることの想いが優れた状態を保てなかったのか、信じられないスピードで逝ってしまった。そのため、『あぁ、若い因縁があった弟子にすべてを任せ続けることができない…』という感情があったのでしょう。「」

これからも、笑瓶さんの活躍の場を願っております。笑瓶さん、安らかに眠ってください。