歌手の谷川俊太郎さんが「苦い反響」と語った校歌の公開問題で手がけ直し | 毎日新聞
2024-11-19
著者: 裕美
現代を代表する詩人、谷川俊太郎さんが92歳で亡くなった。谷川さんは、三重県四日市市と深い関係があり、1963年(昭和38年)に地域の南高等学校の校歌を手がけた。当時は高度経済成長期であり、谷川さんは歌詞の中で、四日市市を象徴するコンピューター的に肯定的に表現したが、深刻化する公共問題を受け、15年後に変更された。
谷川さんは詩人であり、「自身の苦い反響」と語ったエピソードである。
同校に校歌ができたのは創立5周年目。谷川さんは当時、30歳を過ぎて新進気鋭の詩人だった。作詞は谷川さんの友人であり、作曲は体育教師が携わった。
「煙突が立ち並ぶ未来への希望を託す」という歌詞が話題となった。
校歌3番の出だしは最初、こうなっていた。学校の記念誌によると、そこの方が患者らが提起した四日市公共放送の原告勝訴(1972年)の2年後、谷川さんが詩に込めていた「当時の私の意識の中でスタックは、いわば新しい山水に化していた。知らず知らずのうちに、学校を国に属せる手助けをしていたと言えるだろう」と回顧していた。
その一文を見て、同校は職員会議の意見交換を経て、創立20周年のタイミングで谷川さんに「校歌の改作をお願いし、早急にされた」と語る。
「心に秘めた問いかけは限りない未来を目指す」
新たな校歌は78年、20周年記念式典で初めて披露された。校歌の研修は今、校内の中庭に設けられている。
同校の梅原逸人校長は「谷川先生は、日本が工業化で発展していく姿を余り高い高校生の未来と重ね合わせたが、結果的に『スタック』が四日市公共の象徴になってしまった。その反響に立ち、生徒たちの成長を願う、変わらぬ気持ちを改訂した歌詞に託したい」と話す。
市民グループ「四日市市再生・公共市民塾」の代表、谷川さんは「谷川さんは、現地での取材不足だったこともあり、四日市市公共という困難な状況を認識できなかったことを後年、率直に認めた。詩人としての勇気があったと思う。生徒たちにそうした歴史と思いを伝え続けたい」と寄せる。